きままなイタグレとわたし

アクセスカウンタ

zoom RSS 父(86歳)慢性閉塞性肺疾患にて、お浄土へ(覚え書き)

<<   作成日時 : 2016/12/07 20:42   >>

トラックバック 0 / コメント 0

4日 20:30 医師により死亡判定(実際は5分くらい前)

17:20
病院からの呼び出しで土砂降りの雨の中、病室に到着。
意識なし。
皮膚感覚もなし。
血圧測定不可。

何度も、呼吸数0、心拍0に陥いる。
そのまま、楽にしてあげたかったが、福山に出張中で、知らせを受けて新幹線に飛び乗った兄が、まだ着かない。
『早く楽になりたいだろうけど、お兄ちゃんが来るまで待って!』
『もうすぐ新大阪やってメール来たから、まだ行かんといて!』
『あかん!もうすぐやから、待って!』
兄が駆け付けるまでの1時間くらいは、ずっと、声が枯れるほど叫び続けた。
特に、最後の15分くらいは、脇目もふらず、がりがりに痩せた身体までゆすったよ。
母は、何故か、父の耳をずっと擦ってたなあ。

兄が到着し、声を掛けて5分も経たないうちに、いくら呼んでも戻って来てくれなくなり、医師にお越しいただき、死亡を通達されたのが20:30。

直接死因  慢性閉塞性肺疾患
   原因   肺気胸、多臓器不全

医師と看護師により、管が外されていく様を見て(外してくれっていつも言ってたから)、楽になれてよかったって思う。

蘇生の可能性の残る2時間は、病院にて安置。
その間に、夫や娘に連絡。
どこがいいか分からないので、それならと、お世話になった病院が紹介する葬儀社に決め、連絡。
ここで、家族葬でお香典辞退とすることを決める。
連絡のつく親戚や会社関係、友人関係にも、手分けして電話やメール。

22:30 父の遺体を葬儀社へ移動
       (兄:霊柩車同乗、母・姪:タクシー)。
家に連れて帰って上げたかったけれど、父母の住まいのマンションは、エレベーターも通路も狭く、ストレッチャーに乗せ、白いシーツで包んだだけの父を、縦にしたり斜めにしたりしないとならないとのことで諦め、葬儀社に仮安置。

父を寝かせた横で、葬儀社の方の説明を受けながら、手続き関係や、お式のこまごましたことまで、相談しながら決めて行く。
父は、浄土真宗(西本願寺)でした。
0:20(5日) 夫が最終の新幹線に間に合い、葬儀社で合流。
おおよそのことを決めて、家に帰ったのは3:00(5日)


5日   18:00〜 お通夜

10:00〜 湯灌の儀 ⇒ 入棺

12:00   斎場へ移動(母と兄が霊柩車に同乗)
   ame家は、昼食とわんこのお世話をするため、一旦帰宅。

13:30  斎場で、兄と母と交代

14:00〜 係り員による斎場の案内などの説明を夫と受ける
ハンド女子のみんなから、供花と電報が届いていた。

14:50  祭壇飾り付けが完了
画像

遺影は、父が自分で選んでいた親戚の結婚式の写真を、スーツ(茶系)とネクタイ(黄色系でレジメンタル)、背景(緑系グラデーション)を、父の好んだ色調に変えてもらった。
画像

兄は司会者と打ち合わせ。
兄嫁と姪、娘と孫たちと親族控室にて談話。
画像


ハンド女子のみんな、ありがとう。
ちか、夜遅くに連絡したり、みんなへの連絡などをしてくれて、また、心強いアドバイスもありがとう。
みんなの陰で、お式の間、踏ん張れました。
画像


17:30〜 
母、兄と3人で、お寺さんにご挨拶へ
夫と姪が受付へ

兄、そして、夫の会社関係者の姿が・・・
(家族葬であっても、兄も夫も役員なので、そういうことがあるそうです)
夫の会社のみなさんに、簡単にご挨拶。

18:00  お通夜

夜は、係り員が付いているので、全員、一度、帰宅。
(兄も、犬と猫と暮らしている)
夫が、単身赴任先のマンションのエアコンを切ってない気がするわと言い出す。。。



6日  11:00〜12:00 告別式

1階控え室は、司会者との打ち合わせや、事務手続き用(兄と夫のみ使う)にして、2階の控室へ移動。
3室続き間の1部屋を、わたしたちで使用し、残りの2部屋を親戚に解放。

ぎりぎりまで、電報の読み上げ順などの決め事。
親戚に、亡くなった状況を説明したり、注意事項や、次第を伝えたりでバタバタする。
お棺に納めるものを、係り員に預ける。
(父は、可愛がっていたセキセイインコチビの写真と尾羽を入れてほしいと用意していた)
わたしは、コーヒー(コーヒーが飲みたい飲みたいと言い続けていたため)と、大好物だったのに、肺がん摘出手術をしてからは、誤嚥をしたらいけないと食べられなくなったナッツ類を入れた。

10:30 母、兄と3人でお寺さんにご挨拶後、式場へ

11:00 告別式開始
   またもや、兄と夫の会社の方のお姿が多数・・・
   親戚もたくさん集まって、家族葬なのに、賑やかなお式に
   父が娘のわたしより可愛がっていた従姉と、娘よりも可愛がっていた
   その息子たち2人。
   孫たちよりも可愛がっていたそのまた幼子たち4名も来て、父も
   喜んでいたことでしょう。
    (幼子たちも、恐れることなく冷たくなった父の頬や額をぺたぺた触ってくれてた)

12:20 最期のお別れののち、火葬場へ移動
喪主の兄が位牌を(法名 釋一悠)。
母とわたしが、遺影を。
義姉、姪、夫、娘が棺を押して連接する火葬場へ。

親族一同で、お見送りの儀

大体、14:20くらいになるだろうとのことで、控室へ。
仕出しのお寿司で、昼食。
しばし、談話。
(兄と夫は、お金の計算や、会社関係の人へのお香典返しの相談)

13:50 初七日の会場へ移動

14:00頃(覚えていない) お骨揚げ(痩せ衰えていたのでうんと早くなった)

初七日法要

16:30 斎場を後にし、帰路へ


くしくも、父が危篤の連絡をもらった日は、母宅に明太子などを届け、その後、娘宅に早めのクリスマスプレゼントを持参。
画像

クリスマス会として、長次郎でお寿司を食べ、2〜3用事を済ませて帰宅したばかりでした。
画像


 ******************************************* 



昨夜は、ようやく、父を偲び、泣くことが出来たし、夫がベッドを代わってくれたのもあって(わんこたちを引き受けてくれた)、少しだけだけど、ぐっすりと深く眠ることが出来た。

3日間も、お留守番ばかりさせてしまった姉妹。
グレースは、ずっとパパから離れず、抱っこをねだってばかりで、フェリスも、いつものことだけれど、わたしから離れなかった(お散歩はパパが一手に引き受けてくれた)。

今日、やっと少し落ち着き、後を追わなくなったけれど、14:20夫をお見送りしたのに、まだ、探し回っていました。
グレースは、やっぱり、不安になった時は、パパがいいみたい。
(20時過ぎに赴任先に戻った夫。日曜の夜からエアコンを点けっぱなしだった模様。慌てて電車に飛び乗ったからね。部屋入ったら暖かかったわ。って^^;)

やっと、終わったとホッとすると同時に、今度は、母の心配。
この1か月で、急に老け込み、老婆のようになってしまった母を、一人暮らしにはできません。
2日間、母の相手をしていた娘が言いました。
(娘だけが、母の相手をしても、イライラしないし、腹を立てたりしない。夫は黙ってるがイライラしてるのが手に取るようにわかる)
『このままおばあちゃんに、今の生活(全く出歩かない。極度の偏食(脂っこい物が好きで味付けも濃い濃いし、お野菜をあまり食べない)。朝寝坊夜更かし。などなど)をさせてたら、2か月もせんうちに、歩けなくなんで。透析も受けなあかんようになるし、下手したらインシュリンも。神経痛や痛風ももっとひどくなるし、大腸ポリープもまた出来るわetc・・・』
市などの手続きが済んだら、一番に決めて動かないといけない大きな問題。

昨夜、夫が、
『俺もあと4年は確実に単身赴任やし、親父に介護が必要になるまで、うちで引き取ってやるべきや。(お母さんのことが嫌いで許せない気持ちは置いといて)あと何年もないんやから、我慢して面倒をみてやれや。おやじが倒れたら、それはその時に相談したらええことや。』
と言ってくれた。

ameさん、ありがとう。
母の性格を知っているのに、同居してもいいと言ってくれた気持ちがとてもうれしかったです。
色々あったけれど、ようやく、あの時貴方と離婚せずに堪えたのは、間違いではなかったのかしらと思えるようになりました。
過去の、度重なる長い長い期間の裏切りも、もう、忘れて上げましょう。
今後の言動次第では、また、思い出すかもしれないけど(笑)
老後は、二人で旅行に行ったり、共通の趣味を持ったりと、仲良く過ごしましょう(お金があれば・笑)


兄にも伝えたが、その後で、よくよく考える。
わたしは、我慢に慣れてるからいいけれど、義父の気持ちはどうなんだろうなと。
母を迎え入れたら、今までみたいに、ふらっと気軽に遊びに来られなくなってしまうのは、とても可哀相。
迎え入れる前には、足が悪い母のために、1階和室を空けなければならないから、その荷物を別室に移動させたり(これも業者に依頼)、畳や壁紙、襖など、全面改装が必要。
ベッドも買ってやらねばなるまい(今は上げ下ろしをしているが、危ない)。
ポーチや玄関、廊下、トイレ、お風呂などに、転倒防止策を施したりの工事も要る。
そこまで夫には頼れないので、わたしが出すけれど、それなら、うちのすぐ近くに部屋を借りてもらって、母が払えない分を負担してやり、毎日顔を出して、外に連れだしたり、お買い物や通院の介助をした方が、双方にとっても兄にとっても気兼ねやストレスが少なくて済むのではないかなと思い、公団阿武山案内所に出向こうとしたら、水曜日はお休みだったので、明日、相談に行くことにする。
母の弟も、一緒に住もうと母に言ってくれているが、そんな訳にはいかない。
兄は、兄の近くで考えているというし、日曜日に母を交えて、兄と話し合う予定。

それまでにも、2日に1度は顔を出して無事を確認せねばなるまい。


 ******************************************* 



死ぬ前に、本人が決めておけば、遺族は楽になること(メモ)

・延命治療について
・遺影写真について
・どんな葬儀にしたいか
 (家族葬?、葬儀会社、飾り付けや予算など細かく)
・棺に絶対入れてもらいたいものをまとめて誰かに託しておく
・お墓などのこと
・危篤になった呼んでもらいたい人(リスト)
・葬儀に呼んで欲しい人(連絡先リスト)
・親族親戚以外で最後のお別れをしてもらいたい人(リスト)
・宗教宗派のこと
・残されるペットなどがいれば、そのこと
・遺産のある人は、遺言状作成


 ******************************************* 



昔、母が男性と出奔して、父がやっとこさ諦めが付き、離婚届を出そうとした際に、立会人として署名をしに行った時、
『あんなお母ちゃんでも、愛しとったからつらいよ。お母ちゃんを甘やかして甘やかして、あんたらにも、それで大義な思いを散々させたじゃろうけど、それは、みんなお父ちゃんがお母ちゃんが可愛いいて可愛いいて、甘やかしたんが悪いんじゃけん、恨まんでやってな。特にあんたは、辛かったろうけん、今、謝っとこうと思うて。』
そう言って泣いていたのを思い出した。
結局、提出する寸前に、母は父の元に戻って来たのだが。
(そのことに関して、未だに母からは、謝られていない)


 ******************************************* 



娘と、4つ下の姪(背が高くスレンダーで、むっちゃ美人/母の若い頃に似ている)は、フェイスブックでずっとつながっていた模様。
お互い女の子で、一人っ子同士だしね。
けど、やっぱり、今どきの子は、そういうので繋がれて、いいなーって思った。
(全く知らない人とは、繋がりたいはないが。)

その二人のひそひそ会話。

『ゆりさん、きれい。』

『いやー。お母さんも年とったなーって思うわ。小じわがむっちゃ多いし、きれいやったお母さんがおばばっになってしもて、それはそれで悲しもんがあるで。』
こらこら、聞こえてるし・・・(-_-;)
兄嫁と、顔を見合わせて吹いたわ。


 ******************************************* 



今日、初めて知った。
年賀はがきと喪中はがきの交換は無料。
(印刷していても)
いつ買ったのか、何枚買ったのか、誰が亡くなったのかは聞かれた。

年賀はがき11月7日に130枚。
今日、裏面印刷していた夫のを40枚ほど義父に上げたので、交換は90枚で、不足分は追加購入。
無料で交換できてのは、助かった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

飼い主としての戒め

父(86歳)慢性閉塞性肺疾患にて、お浄土へ(覚え書き) きままなイタグレとわたし/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる